源頼朝 何をした人?いまさら聞けない歴史情報!知っておいて損はありません!どうぞ読み進めて下さい!

NHK大河ドラマ

源頼朝って何をした人?



教科書でも出て来ましたし、
聞いたことはあると思います。



大河ドラマ「鎌倉殿の13人」が、
2022年1月から放送予定です。



ドラマの背景は鎌倉時代で、
源頼朝の登場は必須です。



この記事を読んで、
源頼朝の復習をしましょう!



それでは進めて行きます。



源頼朝 何をした人?初代鎌倉幕府の将軍





源頼朝(1147~1199)は、
初めて武士による政権である
鎌倉幕府を作った
初代鎌倉幕府将軍です。



源氏の棟梁源義朝の三男として
熱田神宮近くの
旗屋町辺りで誕生しました。



北条政子の夫です。







母は熱田神宮宮司
藤原季範の娘です。




頼朝の幼名は「鬼武者」です。



義朝の三男として生まれたが
源氏の嫡流として育てらました
(母が正室の子であった為)。



平治の乱に敗れた父・
義朝は鎌倉に落ち延びる途中で
殺され、



頼朝は捕らえられ、
伊豆の蛭ヶ小島に
島流しとなりました。



そんな中で、伊豆の土豪・
北条時政の娘・政子と
結婚します。






源頼朝 何をした人?武家政権樹立

治承四年(1180)、
頼朝は平家打倒の旗を掲げ、
武家政権樹立へのスタートを
きりました。



木曽の従兄弟・木曾義仲との
ライバル争いや、
朝廷を牛耳る後白河法皇との
確執などがありましたが、



平家を打倒し全国を制覇しました。



建久三年(1192)に
征夷大将軍に任じられ、
史上初の武家政権を樹立しました。



建久10年(1199)正月13日に
落馬がもとで亡くなります。



頼朝が亡くなった後は、
源氏の運命は悲惨なものでした。



政子との間に生まれた源頼家・
源実朝は将軍になったものの
政治から遠ざけられ、



最後には非業の死を遂げます。



その後の政治を継いだのは、
政子とその一族の北条氏でした。


結局、頼朝が長い雌伏の後に
築き上げた源氏の幕府は、
三代でその幕を閉じました。



鎌倉の地に有史以来初めて
幕府を開き、



新しい歴史の幕開けを断行して、
武士の棟梁でありながら
その真面目さはまさに



偉大な政治家でもあったと
伝えられています。



源頼朝 何をした人?源家の家系図

源頼朝は、
清和天皇の子孫なんですね。



頼朝はどのような
性格だったのでしょうか?



調査しました。


源頼朝 何をした人?天才的な政治家

源頼朝の天才的な政治力は
人々をまとめる
力にありました。



平安時代から続く
荘園制度から生まれた
武士たちが、



荘園同士の争いや
結びつきで組織となり
武士団と名乗るようになります。



荘園の人々は常に
別の荘園から攻められ、
領地を奪われる危険と
隣り合わせでした。




そんな中、
源氏のリーダーであった頼朝が
新たな土地政策を考案します。



頼朝に従い税を払った荘園は、
他の荘園から攻め込まれた際に
頼朝が率いる軍勢に
守ってもらえるというものです。



朝廷に代わって荘園を守り
補償することで、
人々から信頼を得て
力を付けていきました。




また当時の政治の中心であった
「朝廷」とも、上手い距離を
保ちながら関係を築いたことも
頼朝の政治手腕によるものです。



武力による革命は
古い政府を滅ぼして
新しい政府に変わるのが
普通ですが、



頼朝はそれをしませんでした。




あくまでも
「朝廷を守るために平家を滅ぼした」
というスタンスを貫き、



朝廷から「征夷大将軍」に
任命されることで
鎌倉幕府を治めました。



天皇を国家の中心として
国づくりを行い、
その後700年にわたる
武家政権の方針となりました。


源頼朝 何をした人?質素な倹約家

鎌倉時代の価値観は、
平安時代の華麗で豪華な
国風文化を否定するものでした。



特に鎌倉地方の武士たちは
東国の土地開拓のために
送り込まれた者が多く、



領主とはいっても
貧しい暮らしを
強いられていました。



そのため質素な生活が
根付き、質実剛健な
鎌倉時代の文化に
大きな影響を及ぼしました。




頼朝もその影響を受け、
倹約家な一面もありました。



側近の一人だった藤原俊兼が
派手な衣装を来ているのを見た頼朝が、



刀で小袖を切り落とし
「身の程をわきまえて倹約しなさい」と



たしなめたという
エピソードも残っています。


源頼朝 何をした人?優れた策略家

頼朝は戦(いくさ)が
あまり得意ではなかったと
言われています。



その分、戦局を見極めるのが得意でした。




1180年の富士川の戦いで
平家を破った際、
敗走する平氏を頼朝は
追撃しようとしました。



しかし、
家臣から「関東を平定することが先決です」と
進言されそれに従っています。



手柄を焦らずに戦局を見極め、
家臣の言葉に耳を
傾けることが出来る頼朝の
柔軟さが表れたエピソードです。




さらに頼朝は、
この時配下にあった武士たち
ひとりひとりを自分の部屋に呼び、



「お前たちが頼りだ」と
声をかけたという話も
残っています。


源頼朝 何をした人?身内さえ信じない疑り深さ

頼朝は弟である義経を
無慈悲に討伐したという
イメージがありますが、



本当のところは、
どうだったのでしょうか?


鎌倉幕府成立の歴史は、
源氏の骨肉の身内争いの
歴史でもあります。



平氏との戦いの中で、
頼朝は兄弟や従兄弟たちとの
確執を深めていきました。



この疑い深さから血族を
討伐しすぎたため、
頼朝直系の一族も



鎌倉幕府成立30年ほどで
途絶えてしまいました。




ここから先は、
その中でも弟である源義経と
従兄弟である源義仲との
確執を紹介します。


源頼朝 何をした人?源義経

幼名を「牛若丸」と
名乗った源義経ですが、
頼朝の異母弟でした。



戦下手だった頼朝と違い、
義経は戦いの才があり
数々の武勇伝が残っています。



しかしその才能が原因で
兄である頼朝から
不信感を抱かれることに
なってしまいます。



1185年の「壇ノ浦の戦い」で
平氏滅亡の立役者になった義経ですが、




後白河法皇から官位を
受けます。



頼朝は義経が朝廷と
つながりを持ち、



自分を倒す企てを
していると激怒しました。



このことを知った義経は
‟そんなつもりはない”と
謝意を伝えるため鎌倉に
出向いたり腰越状を



出したりしましたが、
頼朝は義経を許しませんでした。



青年期にお世話になっていた
藤原秀衡を頼って奥州に
逃げた義経でしたが、



病で秀衡が亡くなってしまい
頼朝の命を受けた息子の
泰衡により自害させられて
しまいました。


源頼朝 何をした人?源義仲

源義仲(木曾義仲)は
河内源氏の一族で頼朝・
義経の従兄弟にあたります。



義仲の父である義賢は
頼朝らの兄である
義平によって討たれたため、



彼らは父の仇でもありました。



しかし私情は挟まず、
平氏討伐のため頼朝に続いて挙兵しました。




そんな二人の関係が
悪化したのは、



1183年に頼朝と敵対していた
源行家をかくまったことが
きっかけです。



この時は義仲が
人質を鎌倉の頼朝の下へ
送ることで衝突を免れています。




その後、
倶利伽羅峠の戦いで
平氏の大軍を破り、



一時は征夷大将軍まで
上り詰めました。



しかし後白河法皇との
政治的駆け引きに失敗して
逆族のレッテルを
張られてしまいます。



その後、討伐命令を受けた
頼朝に打ち取られてしまいます。



源頼朝 何をした人?源頼朝の女性関係

左:北条政子、右:源頼朝

妻となった北条政子と
頼朝の関係は、
どうだったのでしょうか?



調査しました。


源頼朝 何をした人?初めての女性八重姫

平清盛によって伊豆国に
島流しにされた頼朝を、
監視役として預かっていたのは
豪族・伊東祐親でした。



伊東の三女である「八重姫」が
頼朝の最初の女性だったと言われています。




伊東が京都大番役として
在京すると、



たちまち通じ合う仲となり
子供を設けました。



しかし屋敷に戻った伊東に
そのことがばれると、
ふたりは引き離され



子供は川に沈められてしまいました。



源頼朝 何をした人?大恋愛の後、北条政子と結婚

八重姫の一件で、伊東の怒りから
頼朝をかくまったのが
北条時政でした。



そして、あろうことか頼朝は
懲りもせず時政の在京時に娘・
北条政子と関係を持ちます。




そのことを知り激怒した時政が
政子を別の男性に
嫁がせようとしましたが、



政子は屋敷を抜け出し
頼朝の元へ逃げてしまいます。



仕方なく時政はふたりの
婚姻を認め、ふたりの大恋愛は
めでたく成就しました。






源頼朝 何をした人?亀の前との浮気

頼朝の浮気相手として
歴史に名を残すのが、



伊豆にいたころから
仕えていた女性「亀の前」です。



1182年の源平合戦のころから
頼朝は亀の前と密会を重ねていました。




妊娠中だった政子は
出産を終えた後、



継母である牧の方から
頼朝の浮気を報告され
激怒したと言います。



怒りのあまり牧の方の父・
牧宗親に命じて亀の前の家を
破壊してしまったほどです。



しかし、
これによって頼朝は、
より亀の前を寵愛することになりました。


源頼朝 何をした人?源頼朝の性格に関するまとめ

いかがでしたでしょうか?


鎌倉幕府を開いた源頼朝は
世間的にはあまり人気が
ないかもしれません。



派手なエピソードや手柄は
無いかもしれませんが、



その後700年に及ぶ武家政権を
創り出した功績はとても大きいと思います。



その類いまれなる政治手腕で
東国の武士たちをまとめ上げ、
政治の中枢だった朝廷とも
抜群の距離感を保ち幕府を誕生させました。




しかし、一族でさえ信用しない
疑い深さや、



まったく懲りない女性観によって、
一族を途絶えさせてしまい、
幕府の政権を北条氏に引き渡すことになります。


このように歴史的背景を見ると、
知っていた情報も
違って見えてきたりします。




「鎌倉殿の13人」楽しみです。
応援して行きましょう!





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